「日本が、パチンコを禁止できない一番の理由は、政治家たちが献金に目が眩み、業界を擁護しているからなのである。」(「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」若宮 健)
あまりにも単純な分析ではないだろうか。
政治家は、献金が欲しいから業界を擁護するのではなく、いわば本能的に行動しているだけであり悪行だとは思っていない、というより、パチンコ業界のために一生懸命に働いており、多くの人々がパチンコを楽しんでいるのに、なぜ批判されねばならないのか、と思っているというのが実情ではないか。
著者はパチンコを廃止し、パチンコの技術をゲームに転用すれば良いと言っている。
ネットゲーム中毒者は増えても良いということだろうか。
韓国でも問題になっているネットゲーム中毒者は若年層に多く、パチンコよりも問題は深刻なのではないか。
私は、日本が、パチンコを禁止できない根本的な理由は、「笑点」が放送終了にならない理由と同じであると思う。
笑点の大喜利のダジャレを聞いても少しも面白くないという人はたくさんいる。
にもかかわらず、放送は続いている。
「落語てえものは、おもしろいもの、おかしいものということを人々がみんな頭においているんですが、元来そんなもんじゃないんですナ。もともと落語てえものは、おもしろいというものじゃなくて、粋なもの、おつなものなんですよ。ほんのある一部の人が聞いて喜ぶべきものなんですね。世の中のウラのウラをえぐっていく芸なんですから・・・」(「なめくじ艦隊」五代目古今亭志ん生)
要するに、パチンコ、笑点、その他のテレビ番組及びゲーム等の現代の大抵の娯楽は、表面的なつまらない娯楽を提供しているにすぎず、粋なものでも、おもしろいものでも何でも無いという感覚が薄れてしまったのが、パチンコを禁止できない根本的な原因なのである。
なお、個人的には、パチンコは非生産的なので、パチンコ廃止に賛成である。
ただ著者の哲学的な分析が欠如しているのが残念である。